今日の授業で面白いことがありました。

なかなか丁寧に体が押せない生徒さんにこんなアドバイスをしてみました。

「一押し50円だと思って、体中に転がっている50円を拾うつもりで押してごらん」

そしたら見違えるようによくなっって二人で大笑いしてしまいました。

 こんなアドバイスをしたのは初めてですが、彼女にはよかったようです。

ホントなら「もっとこころをこめて、相手がどう感じるかに集中して」

というところなんですけど、彼女はいま悩み事が多すぎて、

実際のところ、こころをこめるということがわかるほど余裕がないんですね。

 よく整体をしていて、相手に集中できてるときには、

どうしてあげたらよいか、ひらめくときがあるんです。

これは授業のときもいっしょですね。

 そのかわり、自分のことばかり考えてるときは、なにしてもだめなんです。

 生徒さんが整体を通して幸せになってほしいな。

 

 

 今日は原爆記念日ですね。

朝、祈念式典の様子がテレビでやっていました。

中でも小学生のスピーチが印象的でした。

『酷いことをされると、復讐したくなるけど、

そこからはなにも生れません。

わたしたちは恨みの連鎖を断ち切り・・・・』

とこんなスピーチでした。

 小学生からこんな言葉がでてくるのかとびっくりしました。

もちろん、大人のひとがアドヴァイスしたのでしょうが

言葉に力があって素直に感動してしまいました。

 今日は整体の授業があったのですが、ある生徒さんが

「8時15分に黙祷をささげました」

というのを聞いてまた感動しました。

 いまどき、こんな好青年がいるとは・・・

ちなみに私はというと、黙祷するという発想からなっかた。

はずかしい先生だこと。

 平和といってもいろんな次元があると思うけど、

ほんの身の回りの小さな平和に貢献できるようにと思いました。

先日、三原で「がばいばあちゃん」でおなじみの島田洋七の講演があり、

私の友達がそのお世話をしました。

 その友達が言うには控え室で島田さんの態度がえらく横柄だったそうで、

友達はショックを受けたといっていました。

あの感動的な「がばいばあちゃん」を書いたひとがこんな人なんて、

がっかりといった感じでしょうか。

 しかし、講演が始まるや否や、別人のようにすばらしい講演をしたそうです。

「しかし、このギャップはなに?」

 その講演のスタッフはみな、困惑したそうです。

話をきいて、わたしも、一瞬がっかりしました。

 でも良く考えてみると、私もそんなことよくあるなと思いました。

 「がばいばあちゃん」を読んだ人は、

勝手に島田洋七を完璧な人格者に仕立て上げて、勝手に落胆してるんですね。

 島田洋七はある感動した話を伝えただけで、

私は人格者ですといっているわけではないですね。

 イメージが先行すると、あとは落胆されるだけで、

なんだか、かわいそうな気がしてきました。

 私たちは、お坊さんが、いかがわしいお店にいったりすると、

普通の人がそうするより、軽蔑する度合いが大きいですね。

 私もそうですが、いいところも、そうでないところもあります。

時に非常識なこともどうどうとやってのけたりもして後悔したりもしますが、

だからといって、0点の人間でもありません。多分・・・(笑)

 島田洋七さんも、きっとそうなんだと思います。

過大評価も困るけど過小評価もつらい。

 そこそこに尊敬して、そこそこに許してあげるのがバランスがいいのかもしれませんね。

私の姉は三人の子供がいます。

きのう久しぶりに姉とあって話をしていたら、子育ての話になりました。

姉がいうには、子供は親の言うことは聞かないけど、

親の自分への対応だけをまねるらしい。

例えば子供が危険なことをして、怪我をしたとき、

「あなたがそんなことをしたからけがしたんよ。あなたが悪いんでしょ」

と子供に言ったとします。当然といえば当然のコメントですよね。

でも子供は素直に次から気をつけようとは思わないで

友達がケガをしたとき、「おまえが悪いんだ」という対応をするというのです。

 親が自分へした対応を他人にしてしまう。

友達がケガをしたとき、やさしく「大丈夫?」という子供に育てたいなら、

子供に対しても、「大丈夫?」とやさしく対応するべきなんだと

気づいたと姉は言っていました。

私はそれをきいてなるほどなと感心してしまいました。

 でもそれにはとても忍耐のいることなんだとも言っていました。

自分の子供が人に暴力をふるうような人間に育てるのに一番良い方法は、

子供に暴力をふるうことなのかもしれませんね。

虐待された人はまた自分も虐待してしまうという話もうなずけます。

 私も親になることがあったら、気をつけないとと思いました。

大事なことは何か。
なにごとによらず、一つずつの行為を十分にあじわいながら、
その一瞬を大切に過ごすこと。

    ―――五木寛之

 うん、これもいい言葉ですね。

わたしたちは、とかく、過去の記憶に縛られたり、未来への不安などで

今この瞬間をないがしろにしがちになります。

私もそうです。今をあじわうことを忘れがちになる。

昨日来られたお客さんに(学生さんですが)いろいろと学ばせていただきました。

その方はある病気をかかえながら、前向きに「今」を味わっておられるようでした。

大きな夢を持ちながら、しかし夢に縛られることもなく、

今できることに集中されている姿に感動しました。

過去も未来も現在のために存在するのかもしれませんね。

やっぱり今この瞬間が主役。過去や未来は脇役。

なんとなくそう感じました。

 

自分にとって大切なことは、

他人が自分のことをどう考えているかということではなく、

自分が彼らのことをどう考えているかということだ。        

―――ブリヤン

私が尊敬する「腰痛は怒りである」の著者、

長谷川先生のブログにこんな言葉が引用されていました。

 私たちはとかく他人の自分に対する評価を気にしがちになり、

時に臆病になったり窮屈になったりしてしまいますね。

いままでにいろいろと傷ついた経験のある人ならそうなっても無理もありません。

私もそんなことがよくあります。

 でも他人の評価に縛られ続けると体に悪いようです。

他人の評価をコントロールする方法はないですよね。

マザーテレサでも批判する人は批判します。

 なので無駄なな努力はやめたほうがいいのかなと感じています。

それよりも自分が他人をどうとらえているかを

見つめるほうが得るものが大きい気がします。

 私の場合は、ときどき、フィギュアスケートの審査員になったつもりで

ひとの減点材料に目をひからせる癖がありました。

こうなるとやっぱり人生がせばまりますね。

これはかなりやばい考え方です。

 でも最近は少しずつ、人のすばらしいところや、尊敬するところがみえてきて

人生が楽しくなってきたかも。

 そしてそんな自分をちょっとだけ尊敬してあげて・・・(笑)

 


 

近々、うちの生徒さんが倉橋で近々開業することになりました。

お店の名前は「なごみ整体」。なかなかいい名前です。

今は今までお世話になった方々に恩返しということで無料で施術しているそうですが、

高い評価をいただいてるらしくうれしく感じています。

ときどき質問の電話がかかってくるのですが、

電話の声がほんとに楽しそうで私までたのしくなってきます。

仕事が楽しいっていうのは幸せですよね。

 いままで、いろいろ落ち込んだりしたこともあったのですが

それをのりこえて、さらに強く、やさしく成長してくれました。

 私も生徒さんからいろいろなことを学ばさせていただいて

すこし大きくなれた気がします。

 これからもともに成長していきたいです。

がんばれ!!和み整体!!!!